premier amour
「久しぶりね、真田クン。」
床にしゃがみ込み、何やら細々とした機械を、黙々と脇目も振らず組み立てていた真田の背中で、不意に女の声がした。
徐に顔を上げ、訝しげに振り返る。
と。
そこに。
背筋の伸びた凛とした佇まいの、亜麻色の髪をした女性がにこやかに立っている。
真田は声の主を認めると、懐かしそうに微笑んだ。
女性の名はクリスティーン・アール。
真田の大学時代の先輩だった。
「久しぶりだなあ、クリス。少し太ったんじゃないのか?」
真田は、彼女をしげしげと眺めた後、開口一番そう言って、ニヤリ、と口角を持ち上げた。
「……胸だけね。」
クリスは微笑んだまま、口元だけ引き攣らせ、憤然と声音低く答える。
そして口を尖らせると、ふんっ、とソッポを向いた。
「まったく!久しぶりに会ったっていうのに、ずいぶんなご挨拶だわね、真田クン。
あんた、いい加減、気の利いた挨拶の仕方くらい、覚えなさいよね。」
「世辞を言う環境に身を置いていないもんでな。」
真田は愉快そうに切り返す。
クリスは肩をすくめると、苦笑しながら言った。
「まったく、かわいげがないわね!ま、お互い、かわいいってトシじゃなくなってるか。」
「そういうことだ。」
真田はにこやかに歩み寄った。
◇◆◇◆◇
ふたりが出会ったのは、アメリカの大学のカフェテリアで――だった。
混み合っていたカフェテリアで仕方なく相席したのだが、話をするうち妙にウマが合い、専攻はまるで違ったが、以来、互いを悪友と呼び合うほど、親しくなった。
とはいえ、当時から「天才」として名を馳せていた真田は、わずか13歳で大学に進み、クリスより学年2つ下で実年齢は5歳下、18歳の彼女と、まだ13歳という少年の真田とではギャップがないわけではなかった。
しかし、真田の聡明さは頭脳のみならず、大人と同等の分別をも持ち合わせている――と、初対面で交わした会話で判断したクリスは、年齢を物差しにせず、ありのままの彼を受け入れることにしたのである。
「天才少年」は、入学早々、当然のごとく周囲から、嫉妬による激しいバッシングを受けることとなった。が、彼女のおかげで、皮肉も嫌がらせも意に介すことなく、むしろ楽しく、有意義な日々を送ることができたのだった。
それほどに、当時の真田はクリスを慕っており、後になって思えば、如何に大人びていたとはいえ、まだ少年だった自分を、影になり日向になり、いつも支えてくれていた彼女を姉と重ねてみていたのかもしれない。
翌年――。
クリスは大学を卒業してメディカルスクールへと進んだ。
真田は既にその類稀なる頭脳で五月蝿い外野を黙らせ、大学内では一目置かれる存在にまでなっていて、複数の研究室からお呼びがかかるほどだった。
クリスも真田も互いに多忙の身となっていたのである。
卒業後、真田は日本へ帰国し、現・科学局の前身とも言える機関の研究員となり、また、クリスも家族のいるスウェーデンに帰国して、レジデントとして地元の病院に勤務した。
しかし、ふたりは互いにそうして離れてしまった後でも、連絡を取り合い、その度に叱咤激励し合って、変わらず親交を深めていた。
けれど――。
ふたりは年毎に多忙になってゆき、やがて、どちらがということもなく連絡を取り合うことが次第に少なくなり始めた頃――。
ガミラスからの遊星爆弾が落ちた。
そしてまもなく。
クリスのいるスウェーデンにも爆弾が落ちて、多大な被害を受けたことを真田は知った。
彼女の安否を確かめるべく、何度も何度も連絡を入れたが、その消息は杳として知れなかった。
希望がないわけではなかった。
連絡がつかないだけで、彼女が犠牲になったと知らされたわけではないのだ。
しかし、真田はもう一度、姉を失ったような深い悲しみと膨らんでいくガミラスへの憎悪を抑えきれず、研究員を辞め、自ら宇宙戦士訓練学校に入った。
そこで。
古代守という男と出会った。
明るく快活な男であり、どことなくクリスに似ていたその男とは、やはり妙にウマがあって、すぐに親しくなった。
悲しみも憎しみも消えたわけではなかったが、常に前向きな古代守の生き方に、ポジティヴで建設的な思考をなんとか取り戻しつつあった。
そんなふうに、訓練学校での生活に馴染んだ頃――。
学校に国外からの客人が訪れた。
当時、首席であった真田が校内の案内を任されたのだが、そういったことを苦手としていた彼がしぶしぶ訪れた来賓室で、待っていた客人というのは――。
なんと、あの!
クリスティーン・アールだった。
劇的な再会だった。
放射線症治療の権威であったマリ・カミクラが急逝し、同じくその方面で若手でありながら名を馳せていたクリスが急遽、日本での学会に招かれ――期間限定ではあったが、中央病院に赴いていたのである。
クリスはこの日、宇宙戦士訓練学校の最先端医療施設の視察に来ていたのだった。
真田はクリスの無事を喜び、親友いや彼女のごとく悪友の古代守を紹介し、わずか半月ばかりの短い期間ではあったが、暗澹とした戦時下にあって、しかし、充実した時間を過ごしたのである。
――以来、真田とクリスと守は、年の差こそあれ、友として改めて親交を深めたのだった。
◇◆◇◆◇
「いろいろと噂、聞くわよ。相変わらず、マッドな天才ぶりを発揮してるようね?」
クリスはしゃがみ込むと、真田の足元の、ワケのわからないメカを呆れ顔で眺めながら言った。
しかし真田は、しれっと言葉を返す。
「マッドは余計だ。気の利いた挨拶を覚えるべきなのは、おまえなんじゃないのか?」
クリスは子供のように頬を膨らませた。
「く〜〜〜っ!!ほんっと、憎たらしくなったわね、あんた……。
あの頃は、坊主っくりがチャームポイントの、純粋でカワイイ少年だったのに!!」
坊主っくり……は余計だったが、真田はクリスをやり込めることができて、ふふん、と為たり顔で見下ろした。
しかしクリスは長身の真田を伺うように見上げ、懲りずに言う。
「あなたがいなかったら、ヤマトは帰って来れなかった――って話じゃない?」
フン、と鼻を鳴らし、今度は真田がソッポを向いた。
「買い被りもいいところだ。」
クリスはゆっくりと立ち上がって向き直ると、吐き捨てるように答える真田を、むしろ懐かしそうに微笑んで見つめる。
「そういうところも変わらないわね。」
真田は少し照れ臭そうにソッポを向いたまま、小さく肩をすくめた。
「ところでさ。守クン、生きてたんだって?」
突然、話題を変え、クリスは興味津々といった面持ちで訊ねる。
「ああ。」
今度はそっちか――と真田は苦笑する。
「しかもイスカンダルの女王陛下とアダムとイヴになっちゃうなんて、さすがのワタシも、ブッ飛んだわよ。」
大袈裟に肩をすくめつつも、楽しそうなクリス。
「まあ、いいんじゃないのか。そういうのも。」
同様に真田。
「そうね。真田クンといい、守クンといい、私の周りにいる人間は呆れるくらい面白過ぎだわ。」
からかうように、そう付け足すクリスに、ぐい、と顔を突き出すと、真田も負けずに言い返す。
「ふん。一番、面白いのはおまえなんじゃないのか?自分だけ棚に上げやがって!」
「それも、あんた達のせいだと思うわね。そうそう、面白いって言えば――。」
「なんだ?」
「守クンの弟、ええと、なんて言ったっけ?」
「進だ。」
「そうそう。その彼がユキちゃんとくっついたんだって?」
「……くっついた、っておまえ。女学生の噂話みたいな言い方だな。」
苦笑する真田。
「何よ、『女学生』って。あんたなんか口調からしてもう、ジジイみたいじゃないのよ。ジジイよりマシだわね。」
突っかかるクリス。
「フン。口の減らないオンナだ!まったく!」
真田は呆れたように言って、溜息をついた。
くるくると表情を変える真田を楽しそうに見つめながら、クリスはしみじみと呟いた。
「……ホントに良かったわ、みんな無事で。守クンの弟とユキちゃんが、めでたくくっつくオマケまでついて。」
ふと、クリスの横顔を見つめる。
クリスの穏やかでやさしい微笑みと美しさは、少年の自分を支え続けてくれたあの頃と少しも変わらず、つい引き込まれそうになる。
切ないまでに懐かしい日々が蘇り、真田は思わず胸を押さえた。
(俺らしくもない……。)
覚えず火照った頬を、悟られまいと慌ててソッポを向くと、ごまかすように話題を振った。
「す、進の方はともかく、雪とも知り合いだったのか?」
「ええ。遊星爆弾が落ち始めた頃だったかな。あのコ、まだ9つかそこらだったと思うけど。」
「その頃じゃまだ――」
「ええ。まだスウェーデンに戻ったばかりの頃よ。」
「じゃ、雪もいたのか、スウェーデンに?」
「そうよ。お父様の仕事の都合でね。
今にして思えば、あの頃の私って、ちょっと天狗だったかな、とも思うんだけど。
ストックホルムの病院の外科部長といつも意見、合わなくてさ――っていうか、そもそも大っ嫌いなタイプだったんだけど。
私、患者の処置を巡って、ついにソイツと大衝突しちゃったのよね。
で、やっぱし、放り出されちゃった。っていうより、いられなくなっちゃった?わはははは。」
「わははは、っておまえ……。」
真田は呆れた。
「で、拾われた先がルンドの救命救急センターだったってワケ。あそこ、結構、ウマが合うヤツが多くてさ。ずいぶん長いこといたなあ。
あれ?で、なんだっけ?なんの話してたんだっけ?」
「古代と雪がくっついた話……じゃなくて、おまえがなんで雪と知り合いなのかって話じゃなかったか?おまえこそ、物忘れの激しいババアじゃないか!おまえは俺より年上だしな。まあ、ババアには違いないか……。」
「うるさいわね!誰かババアよ!懐かしくてしみじみとしただけでしょ。で、そのユキちゃんだけど。彼女、私の患者だったのよ。」
「患者?雪がか?」
「ええ、そうよ。あの娘ね、あの時の遊星爆弾に巻き込まれたのよ。」
「ホントか?何も聞いてないが……。」
「話すほどの仲でもないでしょ?」
「いちいち、うるさいな、おまえも。そうか……。雪も被害者だったのか。」
「ええ。あの子もあんた同様、大したお子さんだとは思ってたけど、まさかヤマトに乗ってたとは思わなかったわよ。
でも、まあ、無事に帰って来てくれてよかったわ。
で、しっかり職場で彼氏も見つけてくるんだから、ますます大したもんだわ。うはははは。
ま、なんだわね。これからずっと、平和が続くといいわよね……。
あんなことがあった後なんだもの。少なくとも同胞同士の争いなんてもう二度と、金輪際、起こらないといいわね。」
クリスは軽く目を閉じ、祈るように言った。
真田も小さく笑って頷いた。
「ああ。たまにはおまえもまともなこと、言うんだな。」
「……。ホントにあんたったら憎ったらしいわね!」
ふと話題が途切れて。
真田の横顔を見つめていたクリスが、やおら訊ねる。
「ねえ?真田クン、何かあった?」
「む……。やっぱり、おまえには隠せないな。」
苦笑する真田。
「ダテにねえ、お子ちゃまの頃からあんたを見てきたワケじゃないわよ。あんたを悩ましてるのは大方、今の仕事のことなんじゃない?」
にやり、と不適な笑みを返すクリス。
「ああ、まあ……。そんなところだ。さすがに鋭いな、まったく!
武器やら兵器やらを含めて新造戦艦の設計だの開発だの――っていうのは俺が最もやりたくない仕事だからな。」
そう言って、真田は小さな溜め息をついた。
「そうか。そうよね。でも、あなたのキテレツな発明のおかげで、私はこうして生きてまた、あなたに会えたのよ?」
微笑むクリス。
「ふん。慰めにもなってないぞ。」
わずかに頬を染める真田。
「それでもなんでも、とにかく仕事に魂込めときなさい。あとは軍や政府の質がどれほどのもんか――にもよるしね。」
「そっちの方はあんまり期待できない気がするがな。」
真田は肩をすくめてみせた。
クリスのひとことは、いつも惑う自分の背中を、さりげなく押してくれる。
少女の頃の記憶しかない姉が、もし生きていたらこんなふうに――。
ついつい、クリスに姉の面影を探してしまった自分自身に呆れて、真田はうつむいた。
と。
やかましい音を立ててチャイムが鳴った。
チッと舌打ちをし、肩をすくめる真田。
「やれやれ、呼び出しだ。まったく人遣いが荒いよ。おまえ、いつまでこっちに?」
「久しぶりにお酒飲みながら食事でもしたいところなんだけど、これでいて私も多忙なのよね。学会での出番を終えたらトンボ返りよ。明日、朝イチの飛行機でスウェーデンに帰らなきゃなの。」
「そうか、残念だな。」
「ねえ、真田クン……。」
クリスはふと、真田をまっすぐに見つめた。
「なんだ?」
「私、結婚するかも知れないわ。」
言ってわずかに頬を染めるクリス。
「え……?ああ、そうか……。」
一瞬、硬直しかけた真田だったが、すぐに微笑みを浮かべた。
「それはおめでとう。相手はあのひょろっとした眼鏡の?」
「ええ。カールよ。式を挙げることになったらその時は来てくれるわよね?」
「ああ。もちろんさ!絶対に呼んでくれよ。しかしなあ。なんだか俺はご祝儀貧乏になりそうだよ。守の弟と雪も婚約したらしいからな。」
「あら!ホントに!?それはよかったわ。」
思わぬ朗報に、クリスは目を輝かせた。
真田はそんなクリスに、やわらかな微笑みを浮かべて言った。
「カールによろしくな。」
「あんたも今度会う時には少しは艶っぽいハナシのひとつでも聞かせてよね。」
茶目っ気たっぷりにウインクしてみせるクリス。
「そんな暇があったらな。」
返す真田。
「馬鹿ね!恋はどんな多忙を潜り抜けてでもできるもんだわ!」
姉さん風でも吹かすように、胸を張ってクリスは言う。
しかし、真田は苦笑した。
「俺はそんなに器用じゃないよ。」
ふたりは、ひとしきり言葉の投げ合いを楽しんで笑いあったが、再度、鳴り響く真田の呼び出しチャイムに、招待状、送るから――そう言って、クリスは名残惜しそうに部屋を後にした。
しん、と静まり返った工作室。
――そうか。あいつ、結婚するのか。
どうりで綺麗になったと思ったよ。
彼女の幸せを願いながらも、真田の心にはふと、言われもない淋しさとわずかばかりの嫉妬心が湧き上がる。
姉が生きていて、嫁に行くと告げられたら、きっとこんな気持ちになったのかも知れない、ぼんやり思って、ひとり苦笑する。
――カール、か。
あいつが選んだ男なんだ。きっと、いいヤツなんだろうな。
真田は作りかけの機械を撫でながら、そんなことを思った。
遮る様に。
三度、真田を呼び出すチャイムが鳴る。
「うるさいな!今、行く!」
真田は、やれやれ――と、ひとり肩をすくめると、クリスの香水の香りがわずかに残る部屋を後にした。
クリスティーン・アールという女は、自分にとって姉であり、親友であり、そして……。
――初恋だったかもしれない、と真田は思った。
///// fin /////